福大大濠高校硬式野球部 そして成長に感謝

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7月14日、福大大濠高校の夏は終わってしまいました。

春の九州チャンピオンとして臨んだ今大会は福岡の高校野球ファンの期待であり、私たちの世代としては「あの強い大濠が返ってきた!」と伝統のユニフォームに一新しまさしく夢心地の時間でした。

息子が高校受験を控えた3年前の夏、最後の大会が終わり目標を失うかと思いきや「大濠で野球する」と驚かされたことを覚えている。合格確立はE判定、無理だろうと思っていたが最後の最後まで継続的な努力で合格。親としても野球の指導者としても真の目的をもった人の強さを知った瞬間でした。

彼の野球人生はこの辺から少し人と違った方向に進んでいく事になったと思います。

小学校からエースピッチャーで親子鷹の監督として彼には本当に厳しくし期待もした。

大濠の野球についていくため入学前のトレーニング中に足を骨折。松葉杖での入学式。

小学校から有名人だった元岡スピリッツの濱地、マクドナルドの福岡市長杯で惜敗した長尾ファイターズの米村、その年の全国準優勝キャプテンの原口などすごいタレントの中で、1年生大会の決勝、相手は福岡第一高校、背番号9でファーストで出場。自分も背負った背番号9だったので本当に嬉しかったのを覚えている。昨日と同じ春日球場で左中間フェンスに突き刺さるツーベース、これが息子の最後のプレーでした。

夏過ぎて「父さん、肩があがらん」って「ベース間が投げれん」とチームには内緒で病院に行きました。医師にも何度も手術以外で何とか野球が続けれられる方法はないかと病院めぐりしました。

監督から「主務にならんか」と打診されている事を知ったのは打診されてから約1か月後。本人が一番辛かったと思う。同時に家族もそこから一緒に悩んだ。「もうそろそろ決めんといかん」と言われても何も言えない、そんな日が続いた。

仕事から帰ってリビングで「決めたよ」と彼から話があった。お互い下向いたまま「主務になる」。本当は顔を上げると二人とも涙が止まらなくなるのを知っていた。それでも我慢出来なくて声にならなかった。野球するために大濠に来たのに野球が出来ない、父親が期待している事も16歳の彼には十分すぎるほど分かっていた。

「大濠史上一番の主務になるけん」って「応援するよ、全力でチームをサポートしなさい」と送り出し、彼の主務としてのプレーが始まった。

自分の息子が試合に出なくても、練習試合、公式戦関わらずほどんど見に行った。大濠ファンであると同時に試合に出る出ない関わらずチームをサポートする姿勢は彼と重ねられてより一層考えさせられた。

球場のベンチ上は大濠ベンチが見えない。本当は相手側から見たい気持ちもあったが試合前と試合終了後の挨拶時に息子の顔が見えるのが少し楽しみだった。練習試合でもスコアをつけたり、来客の案内、球場の設営、少年野球時代に厳しく指導してきて良かったと思える瞬間でした。周りからお褒めの言葉を頂くと本当に救われました。

最期の夏、一発勝負。春の甲子園が手の届くところにあって臨んだ今大会。一年生大会の決勝と同カード、同球場と縁を感じる。これからある意味本当に長い夏が彼らを苦しめると思うと本当に勝たせてあげたった。あの少年野球からすごかったあの選手達と一緒にもう少し夢を見たかった。これは終わった話で仕方がない。

夜遅く彼が帰ってきた。「おつかれさん!」っていう事はそれまでに決めていた。

しばらく部屋から出てこなかった。試合終了後から目的を失い、今日から何も決められた練習もない。不安だと思う。

あの3年前の夏、昨日の敗戦とは全く重みも思い入れも違うがそこから新しい目標を見つけ、それに向けて走り出した。実はその時間が一番楽しいことも学んだと思う。

そして挫折を乗り越え、主務として新しい道に進み十分チームに貢献できたことは殆どの試合を見に行った自分が一番知っている。「本当にお疲れさま 俺の方が学ばされた」と成人した頃に言いたい。

またこれからの大学生活、就職、結婚とたくさんのイベントや苦しい事が訪れるが、何のために、どの様にとシッカリと目的を以って乗り切ってほしい。大濠でやれたからどこでも出来る、大丈夫。

2016年の夏はアパート竣工もあり息子たち以上に頑張ります。

今後ともよろしくお願いします。

 

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